櫓について
『太平記』巻六では上赤坂城について、堀を広く深く掘切て、岸の額に屏を塗り、其上に櫓を掻隻べたれば・・・とその城構えについて記しています。
ここで両城に共通している外壁リフォーム施設は、濠塀及び櫓です。
このうち櫓については「掻隻べ」という表現から、それほど頑強なものであったとは思えない。
もともと赤坂にせよ上赤坂にせよ、楠木氏一族が平素居住している館ではなく、一旦緩急の際にたてこもる城塞であるから、ここで近世城郭に見るような恒久的な施設を想像することは困難で、おそらくは後出の絵巻物に頻出する板矢倉程度の仮設物に近いものとみなして差支えないでしょう。
次に巻七をひくと、名和長年がにわかに後醍醐帝を迎えることになった船上山行宮について、俄に持へたる城なれば、未堀の一所をも不掘、屏の一重をも不塗・・・・。
とその慌しさを伝えています。